バードカフェ営業終了

それぞれの地へ

初めて野鳥のための餌場を設置したのは、昨年の11月末のことだった。

軽井沢に移ってきて10年目の冬に、なぜ突然にそうしようと思い立ったのかはもう覚えていない。ただ、人よりは軽井沢を楽しんでいないであろうという思いはあって、それならば少しはそれらしいことをしようとしたのかもしれない。ともかくも、御代田町のセリア(100円均一ショップ)で、小さなカゴと茶漉し、それにフックを買ってきて、バードカフェを設置した。

当初はバードケーキなる小麦、砂糖、ラードを練り合わせた団子ようのものも設置したけれども、人間の勝手な感覚ながらもなんとなく鳥の体に悪そうな気もして、結局はひまわりの種に落ち着いた。

それから約5ヶ月の間、ヤマガラ、コガラ、ヒガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラなどが入れ替わり立ち替わり訪ねてきては、賑やかに食事をし、種がなくなれば催促するようにまでなった。ヤマガラ、コガラ、ヒガラは手のひらに乗って、こちらをじっと見ては、種をくわえて飛び立ったり、時に手の上で歌すら歌ってくれた。

そして、3日ほど前のことだった。数羽のシジュウカラを残して、ヤマガラもコガラもヒガラも忽然と姿を消した。姿どころか、辺りには声すらもしない。おそらくは、本来暮らしていたであろう山の方へと戻っていったものと思う。

思えば、姿を消す前の2日ばかり、常連のコガラペアが、一日中、いつになく懸命に種をついばんでいた。あれは旅立ちの準備であったのだろうと思う。

毎日、欠かさずにやってきた彼らとはすっかり顔馴染みとなっていただけに、寂しい感はある。が、一方で、独り立ちしてくれたことにちょっとした安堵の気持ちもある。これからの山は豊かに緑生い茂り、虫たちの活動も活発になる。その時にもなお、人に与えられる「エサ」を頼りに暮らさせることに抵抗はあった。冬の間ですらそう感じられた以上、これからの季節に「バードカフェ」は続けるべきではないような気もしていた。

彼らは自分たちの暮らすべき場所を知っていて旅立った。さて、果たして人は、それほどに己の暮らすべき場所を知っているのだろうか。ふとそんなことを考える。

そういえば、つい先日、わが家よりもわずか2ヶ月ばかり先に東京から軽井沢に移住した、既に旧知と言っていい友人とわが夫と三人で珈琲カップを片手に語り合う機会があった。

「10年もいてしまった。そんなつもりはなかったのに……」

三人ともが口を揃えたその言葉に、眉間には同じような皺が寄っていたのが印象的だった。

鳥たちは「いてしまった」などというようなことはなく、淡々と己の居場所に向かい迷うことなく飛び立った。

あるいは、懸命にひまわりの種を頬張る途中、桜の花咲く枝に物思う風に座り込んでいたコガラちゃんには、少しばかり立ち去ることの未練があったのだろうか。あるいは冬を乗り越えたことへの感慨にふけっていたのだろうか。

というのは人の勝手な思い込みというものと、まさに「立つ鳥跡を濁さず」の彼らが笑っていよう。

桜花の中のコガラ

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