軽井沢の心底からの春の声

散歩の途中、老齢の域にあろうご近所の男性と行きあって挨拶を交わした。

常にも行きあえば挨拶するし、感じも決して悪くないのだが、笑顔を目にしたことはほとんどない。ほんの一言の挨拶も終わるか終わらぬかのうちに、背を向けて屋外での手仕事に勤しむ。実直で、寡黙な信州人らしい方であろうと思っていた。

たいていはご自宅と細い通りを挟んだ納屋らしき建物とのあいだを行き来しながらあれやこれやと仕事している風で、今日、春風に誘われて散歩に出かけたところ、いつものように行きあった。

「こんにちは」

こちらから声を掛ける。と、声もなく小さく頭を下げる。それがそのご近所さんとの挨拶の方法である。そう思っていた。

ところが、この日、思いも掛けない言葉が返ってきた。

「春だねえ」

こちらを見るでもなく、それでもなお、その明瞭で快活な言葉はこちらへと向けられていることがわかる。

「春ですねえ」

と応えると、

「嬉しいねえ。本当に嬉しい」

と返ってきた。

「よかったですねえ」

こちらも釣られて、嬉しくなって応えた。われながらこんなに嬉しそうな声が出るものかと驚く。

その方の声を聞いたのは初めてのことだったように思う。とうとう最初に耳にしたのが心底から湧き上がるような喜びの声であり、こちらとしては大いに意表をつかれたということになる。

声ばかりではない。その顔には皺にかたちづくられた深い深い笑みがあった。春の陽光にみるみるうちに雪が溶ける。それが笑顔となって顔に宿った。そんな風にすら思われた。

 

信州の、軽井沢の冬は長い。年の半分が冬といってもいい。だからこそ、春の到来を人々は心待ちにする。

軽井沢の春というものは、嬉しいとか愉しいとかいう生まやさしいものではない、たくさんの金を貰ったときに遣い方を考えるように、あれもこれも仕ようという家の内外のこともそうだが、心の賑やかさはたいへんなものである。ただ、あふれるように心がおどる状態である。

そう記したのは室生犀星だった。

この日、私は、これ以上ないというほどの喜びの声を聞いたように思う。北国の春の一斉に草木が芽吹き、花々が花芽を開く、その一切合切が込められたような、どうしようもなく湧き出る笑顔と声だった。これほどまでに人が春の到来を喜ぶ。その抑えきれない歓喜の声を耳にしたのは、間違いなくこれまでの生涯において初めてのことである。

ここに、軽井沢における春というものの持つ意味、それを真っ向から胸中に十二分に得心しえた。十年目の春にしてようやくにその境地へと至ったというわけである。

 

昨今、軽井沢界隈では高機密・高断熱の建築が流行りらしい。外気を遮断し、屋内の熱効率を最大限に高め、換気システムで最適な環境を保つ。寒冷地・軽井沢にあって、それが流行るのも頷ける。かたや、この日行き合った方のお宅は、おそらくはごく一般的な防寒設備のみのどちらかといえば簡素な家であろうと思う。暖房設備の充実を脇に置けば、かつて犀星が描いたような冬の冷気が骨身に染みる軽井沢の暮らしに近いものがそこにあろうと思うのは、わが家もまたそれに近いものであるからである。

峻厳な軽井沢の冬。その過酷さと寂寥を身をもって知っている。だからこそ、大地からあふれる春到来のどうしようもない喜びを知っている。

軽井沢に暮らすということの意味合いが、やがて変わろうとしているこの時代。東京と少なくとも同程度の快適な住環境や、東京と同じような店舗を求める。その感覚は、多くの面で軽井沢の暮らしを大きく変えようとしている。その恩恵に預かることもまた心地よい。

詰まるところ、人通りの途絶える長い冬を耐え、春の訪れにどうしようもなくあふれるように心踊る喜びは、このご時世にやがて消え去っていくものであろうか。それは、もはや文学としてのみ残りうるに過ぎなかろうと思うが、いや、厳冬を身をもって知る暮らしはまだ当分は軽井沢に居残るのであろうとも思う。

それが、幸か不幸かはいざ知らず。ただ、地元の方とその一端をほんの一時であれ共有できたことは、私にとっては大いなる幸いであったと確信している。

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