こんにちは、あんじゅです。
今回は、髙村薫の小説『四人組がいた。』(文藝春秋)をご紹介します。
この作品は、髙村薫ファンの間では賛否両論、議論の分かれるところではないかと容易に推測されます。シリアスなサスペンスや、歴史や政治を絡めた重厚な小説を得意としてきた髙村氏にとっては初のユーモア小説と評されるこの作品だからこそ、戸惑うファンがいたことは想像に難くありません。
確かにユーモア小説です。けれども、そこには、日本の田舎の変幻自在な逞しい生命力が見事に描かれ、軽井沢に暮らしてより接してきた地元社会の姿を彷彿とさせるこの作品を、日本の田舎を知る一つの手がかりとしておすすめさせていただく次第です。
ニッポンの偉大な田舎。
舞台は、「鉄道の駅がある最寄りの町から三桁の国道に入り、山間の苔むした隧道を四つか五つ通り過ぎてアスファルトの舗装もかなりぼろぼろになってくるあたりに、今度はさらに山奥へと……」と表現される、山間の村。
『四人組がいた。』の「四人組」とは、そこの郵便局兼集会所に常日頃、集う元村長、郵便局長、元助役、そしてキクエ小母さんの四人の老人。
秋になれば余って捨てるほどのかぼちゃを朝晩、食べ続けてはげっぷを吐き出し、干し柿作りのために手を柿渋に黒く染めながら延々と柿の皮を剥く。通りを誰かがやって来る気配がすれば、それが男か女かで賭けをし、暇つぶしと金儲けになりそうな話には、内心、飛びつきながらも、獲物は逃すまじとそれはもう慎重に、時に煙に巻きながら相手を絡め取る。
「高齢者」などという取り澄ました言葉より、「ジジババ」や「ジジイババア」という言葉の方が、余程、得心できるような彼らの見苦しいほどの姿を髙村氏は容赦なく描きます。
当初は、タダの山深い田舎の話かと思いきや、読み進めるうちに気付けば、この作品のファンタジックな世界に入り込んでいるという次第。
では、純粋なるファンタジーかと言えば、この作品の主眼はそこにあるのではなく、まさに「ニッポンの田舎」を表現するに当たって、このファンタジックな世界こそ必須であったと思われてなりません。
この愛すべき田舎世界は実はファンタジーではなく、ニッポンに存在するれっきとした現実世界と言ってもいいのかもしれません。
帯に記された「ニッポンの偉大な田舎。」との一言が、まさにそれを表現しています。
常に東京などの都会と対比され、そこに暮らす人々自らもそれと対比しながら、都会の下位に甘んじているように見える地方社会ですが、人々は、実は強かに旺盛な生命力を秘めてそこに暮らし、その姿はとてつもなく愛おしい。その感覚を、小説世界に見事再現したこの作品は、髙村文学の隠れた最高傑作の一つかもしれません。
一筋縄ではいかないニッポンの田舎
都会の下位に甘んじてるように見える田舎。それを小説に表現する時、あるいは、何らかの形で論じる時、付きまとうのは、都会は優であり、田舎は劣であるという目線です。その定型的な思考停止とすら言える固定観念を凌駕する表現をし得た時、初めて、そこに「田舎」というものの、生命力に満ちた、愛すべき姿が浮かび上がるものと常々思ってきました。
『四人組がいた。』のジジババ四人組は、金儲けや我田引水に躍動する、決して上品とは程遠い、どちらか言えば下品な人々。
ところが、最終章に登場した閻魔様が、彼らのことを評してこう言ったものです。
地獄に招くには一寸善行を重ねすぎておる
ここに、ニッポンの田舎に対する愛をもって、多義的で表裏定かならぬ、一筋縄ではいかないニッポンの田舎を見事に描いた髙村氏の小説家としての力量に改めて感服するとともに、高村氏とこの作品に敬意を表し、おすすめさせていただくこととなりました。
なお、髙村薫のおすすめ作品の王道は、『マークスの山』に始まる合田雄一郎シリーズなどの重厚な社会派サスペンスや、歴史や政治への目線を色濃く投影する『新リア王』などの作品群であり、世の常として、おすすめには素直に従うというのが間違いのないことではあります。
こうした一連の、いわゆる髙村氏らしい作品に触れた後、この『四人組がいた。』を手にとっていただくことで、髙村文学の隠れた名作に触れるという醍醐味を味わっていただくというのも、読書の楽しみの一つであろうことを付記させていただきます。
綿密な取材を重ね、描かれる高村薫の小説には、人の生き様に対する容赦のない描写と、深い愛があることは、サスペンスであろうとも歴史・政治がテーマであろうとも、そして、田舎やジジババを描こうとも、一貫して変わらないのではないかと、髙村薫の作品全てを読んだわけではありませんが思い、もしや『土の記』の萌芽もこの頃であったかと想像します。
そして、ふと、
かのジジババは今頃、どうしていることか……
と、あたかも軽井沢に、ジジババ四人組が集う郵便局兼集会場があるかのような錯覚に囚われ、軽井沢もまた、私にとっては「愛すべきニッポンの偉大な田舎。」だというわけです。