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その時、暮らす土地を愛するということ

こんにちは、あんじゅです。

神奈川県に生まれ育ち、東京で仕事をし、その後、軽井沢に移住してから10年近くが経とうとしています。その間、小説を筆するというご縁までいただいた軽井沢という地ですが、そこに暮らしてみて感じたことの一つが、今回のブログのテーマです。

封印された繁華で猥雑な軽井沢の歴史

以前にも、ほんの一時期、軽井沢に関するブログを書かせていただいたことがありました。

そこに、

江戸時代の軽井澤=軽井沢、沓掛=中軽井沢、追分は、最も多い頃には数百人規模の飯盛女(遊女) が客をとるような、繁華で猥雑な風俗街だった。

というようなことを書いたところ、

よくぞ言ってくれた!

というお声をいただきました。

その時は、意外な思いをもって、その言葉を受け止めたものです。

軽井沢が江戸時代には繁華で猥雑な宿場町だったことについては誰も疑問を呈するものではなく、歴史上の事実として、認められていることです。ところが、それを声にして言うこと、文章にして書くことは、軽井沢の一部の方々の間では、いわばタブー視されているのかもしれません。

「軽井沢の黒歴史」として認識されることもあるらしき、江戸時代の繁華で猥雑な宿場町だった頃の軽井沢。

けれども、軽井沢を本当に愛するのであれば、その時代を封印し、なかったことにするというのは、どうも合点がいかないというのが今回のお題です。

私が軽井沢を居住地として選んだ理由

その頃のブログでも書かせていただきましたが、私は軽井沢がそれほどまでに皆様の憧れを集める別荘地であるとは知りませんでした。

私の軽井沢に対する認識というのは、過去の軽井沢の思い出をお読みいただければおわかりになる通り、必ずしも軽井沢でなくても、箱根でも熱海でもどこでもよかったような思い出ばかりです。

もちろん、いわゆる軽井沢らしからぬ滞在を受け止めてくださったのは軽井沢界隈の方々ですから、その意味では、この浅間山麓である必要はあったのですが、でも、それだけのことです。

そして、10年近くを軽井沢に暮らしていますが、軽井沢を選んだ理由が、

  • 食料生産地に近い地方であること
  • 移住者が多いこと
  • 東京へのアクセスがいいこと

というだけのことで、そこには、

  • 軽井沢だから

という理由は全くありませんでした。

それもあって、居住物件を選ぶ基準は、

  • 駅から徒歩15分以内
  • 生活インフラ(役場、図書館、スーパーなど)に徒歩でもアクセスできる

という、今思えば、首都圏で居住地を選ぶ基準とほとんど変わりませんでした。

結局のところ、その条件に当てはまったのが、江戸時代の沓掛の宿場に近い界隈となり、おかげさまで古くからの地元の家々の方とも多少は交流を持つことができ、今回の小説へと道筋がついたとも言えます。

自分の住む土地を愛するということ

さて、こうした私の感覚とは違い、軽井沢という地は世間の憧れを集め、他の全国の多くの市区町村とは扱いが異なるようです。

軽井沢が好きでたまらない!

というお声も、あちらこちらから聞こえてきます。

自分の好きな土地があるということは、とても素敵なことだし、そこに暮らせるとしてもそうでないとしても、そこにロマンのようなものを感じます。

私はどうかというと、正直、そういった意味では軽井沢が好きなわけではありません。

けれども、「自分の住む土地を愛する」という意味では、軽井沢は好きです。

ちょっと抽象的で難しい言い方かもしれませんが、例えばこういうことです。

私がもし、埼玉に住めば、埼玉が好きになります。

静岡に住めば、静岡が好きになります。

埼玉に関して言えば、私の周りの方だけかもしれませんが、在住の多くの方が、

埼玉なんて何にもないよ

と謙遜混じりに、口にされます。

でも、何にもなくても、埼玉に暮らせば、私は埼玉を愛するようになると思います。

何にもないとおっしゃる方々の多くも、そうなのではないかと勝手ながら思っています。

自分の暮らす土地を愛するということは、その土地の有する利点だけを愛するというのではなく、そこに営まれる暮らしや、それを担う人々をも含めて愛することだと思っています。

軍人だった祖父は、仕事で全国各地を転々としました。

その都度、

自分の暮らす土地と、そこに暮らす人々を愛すること

と口にしていたと聞きました。

首都圏にしか暮らしたことのなかった私が、軽井沢に暮らすようになってみて、初めて、この言葉の意味が心底わかったように思います。

軽井沢を本当に愛するならば

私は、自分の暮らす土地としての軽井沢は好きです。

自分の暮らす土地として、たまたま、今、軽井沢がそこにあるわけで、それをただ、自分の暮らす土地として愛しているだけです。

江戸時代には繁華で猥雑な風俗街だったとしても、それも軽井沢です。

ましてや、その頃に、今の軽井沢の原型が形成されたのであれば、尚更に江戸時代の宿場だった頃の歴史は非常に重要だと思っています。

ところが、

江戸時代のことには、なかったことになっていてね

というような言葉を、古くからの地元の方から聞くことががあります。

江戸時代の軽井沢は、明治期以降に形成されてきた「清浄なる美しい別荘地・軽井沢」のイメージにはそぐわない、ということのようです。

それが、町としての生存・発展戦略だったことは、よく存じています。

明治維新に伴い、宿駅制度が廃止され、それに生活を依存していた軽井澤=軽井沢、沓掛=中軽井沢、追分は廃村寸前まで荒廃しました。

そこに、外国人が避暑のための別荘を営むようになると、別荘地に生き残りをかけ、当時の旅籠屋の主人らが懸命の奔走と努力を重ねました。

その甲斐もあって、今に見られるような別荘地への発展の道が切り拓かれたというわけです。

そして、これからも、生き残りをかけた町の取り組みは続いていくと思います。

それこそが、標高が高く寒冷で、火山性の貧しい大地に生き残る人々の暮らしであり、偉そうな言い方かもしれませんが、そこに人としての愛すべき生き様を感じざるを得ませんでした。

一方で、軽井沢という地には、自分が望む、美しい清浄なる軽井沢の姿を想定し、それに当てはまらない部分には目をつむる、封印するという風潮が、時に感じられてなりません。

それは、まるで、

俺の女(私の男)は、俺(私)が思う通りに美しく(強く)あるべきだ

とのたまう、映画に登場しそうな身勝手な人物を彷彿させることすらあると言えば、言い過ぎでしょうか。

本当に軽井沢が好きならば、清浄ではなかった頃の、そして今でもその片鱗をちらりと覗かせる軽井沢をも含めて愛してもいいのではないかと思うのです。

特に、別荘を所有される方々や、移住者の皆様が、江戸時代の軽井沢も含めて愛するようになれば、軽井沢という地そのものの、より層の厚い発展すらも望めるような気がしてなりません。

しつこいようですが、今の軽井沢一帯の基礎が形成されたのは江戸時代、あるいはそれ以前です。

その頃にルーツを持つ地元の方々が、現代の別荘地・観光地たる軽井沢を支えている部分も大きいと思われます。

ならば、尚更に、その頃の軽井沢に目を向けず、なかったことにするというのは、軽井沢を愛していないどころか、軽井沢という地に対して失礼ではないかとすら思えてくるのですが、考えすぎでしょうか。

いえ、きっと、考えすぎなのかもしれません……。

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